開化堂インタビュー Vol.01
初代からの手法を守り続けて百年以上。
時代や状況が変わっても代々受け継がれる伝統。
「開化堂」六代目の八木 隆裕(やぎ・たかひろ)さんに、
八木さんのものづくりの思いをお伺いしました。
PROFILE
「開化堂」六代目
進化する茶筒、伝統・工芸の価値を世界に向け発信、
活動中。
八木さん:最初は家業を継ぐ気が全くなく、親父からも「継ぐな」と言われていました。その理由は、伝統工芸の未来に明るい話題がなかったのが大きいと思います。親父も紹介していただいた、その頃の京都の伝統工芸の本の帯に、「跡を継げとはよー言わん」とありました。まさにそんな時代だったんです。僕が、高校から大学にかけての時代は、ここまで工芸が注目される時代ではなかった。ましてや海外から工芸を買いに来られるという想像もできなかった時代だったんです。自分の子供の人生に、押しつけることをしたくなかったという気持ちもあったようです。
家業を継ぐ前は、外国の方向けのお土産屋さんで3年間働いていました。
その店に「開化堂」の茶筒も置かせてもらっていたのですがそれをアメリカ人の方がお土産に、ではなく自分で使うために買ってくれたことがきっかけです。18歳でアメリカに行ったとき、茶筒をお土産に持って行ったのですがその時はすぐにしまわれた経験があったので、アメリカ人が自宅用で使う、と言ってくれたことに驚きました。そして「もしかしたら世界でも売れるかも」と思ったんです。伝統工芸というと、専門職の方や一部の人だけが使うモノというとらわれがあったけれど暮らしの中で使っていただける道具であり、世界にも通用するモノだと気づき家業を継ぎたいと思いました。
八木さん:きっかけは親父が「喫茶店をやりたい」と言っていたことですがどんなカフェにしようか、と考えたとき「伝統工芸を若い人たちに経験してもらう場所にしたい」と思ったんです。HOSOOのカーテン、中川木工芸の木のプレート、朝日焼のうつわ、公長斎小菅の荷物かごまで、すべてにおいて伝統の技(工芸)がちりばめられていて、なんかこの空間って気持ち良いな、なんでやろうって調べてもらうと”工芸だった”、そこから工芸の意味を探ってもらう場所にしたいと思いました。最初に「工芸だよ」と言われると、みんな一歩引いてしまう。カフェにすることで若い人たちも入ってきやすく、工芸品を使ってよかったら (興味を持ったら)その良さを伝えていく。若い人たちはたくさん流れてくる情報の中で、関心のある情報だけを掘り下げ、楽しんでいるので。そのきっかけになるようなカフェにしたいと思いました。それと同時に、「開化堂の応接間」にしたい、という気持ちもありました。 訪ねてくださった方々を大切な人を親しみをもってお迎えするような「開化堂の応接間」でありたいと。私たちの友人であり、信頼を寄せる国内外の職人さんが作ってくれるコーヒーや紅茶、日本茶、お菓子など、心を込めて皆様にお出ししています。