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富貴堂インタビュー Vol.01

銅板を“絞り縮める”伝統技法を守り抜いて
新潟県燕市の「富貴堂」

新潟県燕市の富貴堂

1945年開業。先代からの受け継ぐ思い、機能美を大切に継承し続ける「富貴堂」三代目の藤井健(ふじいたけし)さんに、モノづくりの思いをお伺いしました。


三代目 藤井 健さん

PROFILE

「富貴堂」三代目 藤井 健( ふじい たけし )さん

たくさんの出会いやチャンスをきっかけにアップデートし
モノづくりに奮闘中。


~「富貴堂」インタビュー ~

≫ 藤井さんが家業を継がれた経緯を教えてください。

藤井さん:継ごうと思ったというか、“今、戻らないといけないな”と思ったんです。
高校卒業した時、モノづくりが好きなので、内装屋さんに就職したいと考えていました。その当時、珍しく玉川堂(※「鎚起銅器」の伝統技術を二百年弱にわたって継承している老舗企業)に求人が出ていて、だったら申し込んでみようかな。と思って玉川堂に入社しました。
求人がなかったらやっていないですね。
玉川堂で2年ぐらいたったころ、父から晩御飯の時に、「体調が悪いので入院することになった。」って言われて。その当時は父と母の2人でやっていたので、「入院中の注文どうしようか?いやー参ったな」と2人で話しているのを聞いて、お客さんを待たせたくない。穴をあけるわけにはいかない。と思ったんです。そして、誰にも相談せず、勤めてた玉川堂の当時の社長さんに「父が2か月ぐらい仕事ができないから、辞めます。」って言ったんです。
社長さんに「藤井君2か月だろ。退職せずに、2か月たったら戻ってきたらいいんだよ。」って言っていただいたんですが、中途半端が嫌だったんで、辞めると決めたら辞める!ということにしました。
その時お世話になった職人さんたちにも、「藤井、帰って何ができるの?下仕事しかしてこなかったから、帰って何もできないんじゃないか。」って言われましたが、そんなことよりも、2か月間何とかしたいという思いでした。
家に帰って、「仕事辞めてきた」って父に言ったら、驚いてましたね、何も言いませんでした。母はホッと、安心していました。父の一生懸命頑張っている姿をみていたし、自分ちの商売がなくなってしまうのは困ると思って。それが二十歳の時です。
継ぎたくて継ぐというよりも戻るタイミングだったんです。
そっから父は口癖で、「継がれる方も大変」とよく言ってました。
父が入院中は自分も何ができるか分からないけど、出来るところまでやって、分からないところは病室に持って行って、父がやってきたことを見様見真似でやっていった。それが始まりです。


≫ 今、社長に代が変わってから思いは変わりましたか?

藤井さん:“変えてもらった”ですね。いろんな出会いやチャンスをきっかけに、変えてもらったんです。
まず、コーヒ―専門店のブネイコーヒー(Bnei coffee)さんとの出会いです。
家内とも「もしあの時、ブネイコーヒーさんとの出会いがなかったら、今分からないよね。」って、話すんです。出会いは、「貸し出し用のポットはないですか?」って
突然ブネイコーヒーの渡邊さんがお店まで訪ねてきてくれて。こちらは嬉しかったですよ。
その時に作ってたポットは、ポットとして作っているというか、やかんの口が細いモノとして作っていたもので、それを貸し出し用として試してもらったのがきっかけです。
一番最初にドリップポットを作り、ブネイコーヒーさんが使いやすいポットにどんどん進化していきました。
考え方が変わるきっかけもここにあって、自分が作りたいものが明確になったんです。
また、阪急さんもそうなんですけど、2012年うめだ本店グランドオープンのタイミングで、当時のバイヤーに声をかけていただいて。それまではずっと期間限定の催事だけでしたが、和食器売場のこの場所で、様々な伝統ブランドとともに展開していくお話をいただいたのが、うちにとってはスタートだった。
他の伝統ブランドほど認知度はなかったのですが、今日ここにあるのもその時の声掛けいただいたことがチャンスになったんです。
最初展開したのはやかんとか急須とかだったんです。それは、父がやりたかったこと、父が積み上げてきたことで。その中でも自分自身頑張っていたと思うんですけど、でもホントにそれは自分らしいのか?自分らしさなのか?と思っていて。
でも色んな出会いとチャンスを頂き、だんだん自分がホントに作りたい、もっと整えたいものがだんだん積み重なって、それがコーヒーサーバーやドリップポットだったんです。
考え方も自分の場合は常に、何かを目指して自分でやり始めたのではなく、玉川堂さん、阪急、ブネイコーヒーさんなど皆さんからきっかけをいただいて、そこで気づいたっていうか、じゃあ自分だったらどうしようかって考えながらやり続けて、今がある感じですかね。
人とはちょっと違うかもしれないですね。
ホントはやりたくない仕事だった。継ぎたくない仕事だった。けど、今はめっちゃ好きです。ものすごく好きです。
以前は、誰に喜んでもらえているか分からずにモノを作り続けていると感じていた時があって。でも今は欲しいと言ってくださる人がいて、「良かったよ」と言っていただけるその言葉がものすごく身に染みるっていうか。その中に迷っている自分も、すべてそれでもいいんだよ。って懐深く見守ってもらっている部分があって。ありがたいし、ホント良かったと。
そういったことの積み重ねから、「すごくいい仕事なんだ」と思うようになった。
自分の足りなかったところ、考え方や整ってなかったところは、結局自分のせいなんだと思えるようになった。
じゃあそれをどうするんだって考えたときに、周りの人たちが言っていた、「たたけばわかる」「やるしかないんだよね」って、そういうことを言ってたんだ。色んな事をうまくやろうと考えるんじゃなくてとにかくやればいいんだ。やっていれば必ず何かが生まれるんだな。ってことに気づけた。そんな感じなんです。

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